ツバメのツンちゃんに命を思う (2016/05/11)

  何年位前からだろうか、かなりの年数になるかと思う。
我が家にはこの時期、ほぼ毎年ツバメが巣作りをしに帰って来て、雛を孵しまた巣立って行くと言う楽しみがある。「ツンちゃん」と呼びそっと見守っている。

昨年は何故か巣作りを途中で止めてしまい、以降姿を見せなかった。
三年前もそうだ。
今思うと、それぞれ父と母が旅立った年で、何かツンちゃんとしても感ずるところがあったのかな、等とつい思ってみたりしている。
今年はせっせと巣を直していて、ほぼ改修工事は終わったようで既に寝泊りをしている。
この分だとまた顔中黄色い口だらけの雛の顔も見られそうだ。

     

ある年はカラスに狙われて巣が壊され、ツンちゃんが玄関先に力尽きて落ちていたこともあり弔った。

ある年は、親鳥が強者を優先的に育てるために、弱者の雛を巣から落としていたこともあった。
小さな命に、生を受ける事が当たり前だと思ってはいけないと教えられ、自然界の過酷さを垣間見たような気がしたものだ。

   東日本大震災から五年、熊本でまた悲劇が起こった。
尊い命を奪われてしまわれた方々には心からお悔やみ申し上げ追悼したい。また被災された多くの方々に心からご支援したいと思う。

シンボルである熊本城の姿には、胸が詰まる思いがした。
決して他人事であってはいけないし、自身の事に置き換えて心を寄せて支援して行かなければと思う。

出来る事は少ないかもしれないけれど、細く長く、出来る限りの事を東北にも熊本にもして行ければと思う。
この支援や自粛について色々な物議が出ているが、どうして自分と違う価値観だと批判をしたり波風を起こすのだろうと、本当に不愉快になる。

色んな人がいて、色んな価値観があるのだから、何が正しく何が悪かなんて、受け取り方で全く違うはずで、自分の信じる事を粛々と黙ってすればいいじゃないかと思うのは私だけだろうか。

被災された方はそれどころでは無く、今日を生きるのに必死なのだから。
ギャラリーが雑音を申すことで、どれだけ傷ついた心を逆撫でることになっているかなんて考えない大馬鹿者が多い事多い事。

売名だろうが何だろうが、義援金を寄付する事は立派だと思うし、有効に使われるお金をポケットマネーから何百万もの高額寄付をするのだから、褒められてこそ貶される理由なんて無いはずだ。

結局、自分が出来ない事を、さらりと遣って退ける事へのジェラシーなんだな、と思う。

 話が逸れ出したが、長く生きていると、本当に辛い経験がある日突然襲い掛かって来たりする。

「当たり前の日常を当たり前と思わずに感謝しながら一生懸命に生きないと罰が当たるよね」等と色々な思いが馳せたGWだった。

(しげみや・ゆ)

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ホームビデオカメラ (2016/3/31)

先日、娘の卒業式に行ってきました。
良い席を取るため少し早く家を出て、保護者席の前から2列目の娘のちょうど後ろに席を取り、ホームビデオカメラを最近購入した三脚にセットし、卒業式が始まるのを待ちました。

     

 卒業生が入場してくると大きな拍手とともに、パシャパシャとカメラの音が聞こえ、プロが使うような大きなレンズの付いたカメラで、ご両親たちは、わが子の晴れ姿を撮っていました。
そんな中、私は、今時なかなか購入できないテープ式のビデオカメラで、何とか娘を探し出しビデオカメラを向けました。

 このホームビデオカメラは、娘が生まれる時に購入したので13年ほど前ですが、当時はDVD内蔵カメラが出始めたばかりで、1枚のDVDに30分程度しか撮れなかったため、最大90分ほど録画できるテープ式のビデオカメラにしました。
今では、コンパクトになり、望遠レンズも40倍、撮影時間が10時間以上のカメラがあるのには驚きです。

 まだ赤ん坊だったころのハイハイやよちよち歩き、お誕生日、七五三、保育園入学、保育園のお遊戯会や運動会、家族旅行、お花見、夏祭り、ひな祭り、小学校入学、運動会、音楽会など様々な出来事や催しの思い出を録画してきました。

 今回初めて三脚を使いビデオカメラを固定して撮影しながら卒業式を見ていましたら、今までビデオカメラを手に持ち、娘の晴れ姿をレンズ越しにしか見ていなかった事に気づき、なんだか無性に寂しくなりました。

 もうすぐ中学校の入学式です。これでビデオカメラもカメラマンとしての私も卒業かなと思います。
これからは、私に孫ができた頃に、棚いっぱいになった録画済のテープを、老夫婦二人で見ながら思い出話に花を咲かせる事を楽しみにしたいと思います。

(ふるた)

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母が大腿骨骨折 (2016/3/31)

先日、86歳の母親が自宅で転んで大腿骨を骨折してしまいました。
着替えの時に足を滑らせて転倒したとのこと。うずくまったままで動けない、動かそうとするとかなり痛いという状態だったので救急車を呼びました。

     

高齢者が大腿骨を骨折すると、寝たきりになったり痴呆が始まったりすると、いろんな方から聞いていたので、本人も注意していたのですが…。
夜のことだったのと広くない家であることが幸いして、うずくまったまま動けないでいる時間もそう長くなく病院に連れて行くことができました。
これも適切な対応をてきぱきと進めていただいた救急隊員の方々のおかげです。
とても頼もしかったです。

医師は、高齢者であっても、
・余命数カ月と宣告されているような場合を除き金具を挿入する手術を行うということと、
・骨がもろくて金属を骨に固定できない場合もあること、
・この部位は出血量が多いので輸血をする場合があること、
・術後のリハビリが重要で、リハビリ病院を紹介することもある――などを
家族に説明してくれました。

手術を行わないでいると、筋肉の収縮によって骨折部位がかなりずれてきて、それこそ車椅子も使えない状態になるとのことでした。
かわいそうですが、しっかりリハビリしてもらいましょう。
幸い手術は手間取らずに完了、輸血もしないで済みました。
今後の課題はリハビリと痴呆対策ですな。

しかし、こうしたことに際しては、男はあまり役にたたないと感じました。
救急隊員との対応ぐらいでしたか、率先していたのは。
既往症の医師への説明や手術の話などになると僕の出番が少なくなってきました。
手術の日も、以前から約束してあった飲み会へ。
大きな鳥のから揚げをビールともに堪能してしまいました。
きっと、これでいいのだ。

(かねこ)

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断捨離のすすめ (2016/02/09)

 今、家の中を少しずつ少しずつ整理整頓しています。
一昔前に流行った「断捨離」、ここ最近では「ときめく片づけ」(こんまりちゃんのアレですね)とでも言ったところでしょうか。
特に書物を読んだわけでは無いので、ところどころ我流ではありますが、とにかく「お片付け」をしています。

     

 昨年12月に長い闘病生活をしていた母が旅立ちました。
自分でも驚くほどダメージが強く、しばらくの間メソメソと引きこもって泣き暮らしていましたが、何かをして気を紛らわせようと思ったのがこの「お片付け」のきっかけでした。

 とにかく必要な物、ときめく物だけを残して、
自分の理想とする生活空間、暮らしを手に入れる
→これまでの人生に片をつける
→前向きになる
→節目を乗り越えて次の人生のステージを出発する、と言う事らしいのです。たぶん。

大袈裟かもしれませんが、それ位に思いながら始めました。
やり始めると、最初はモノの多さに圧倒されて、結局モノの分別がつかなくてかえって収拾がつかないなんて事の繰り返し。

     

結局、過去に対する執着と、未来に対する不安から、決別ってなかなか出来ないもんね、と思いながら遅々として進まず。
「こうしたい!こうなりたい!」とはっきりとした意思決定が出来ていないと、つまりマインドが根底からグラついているとリバウンドを繰り返す。
これってダイエットと同じだなぁ・・・なんて思って、どうして永遠のテーマであるダイエットが成功しないかの理由が見つかったり。
なので、焦らず地道にコツコツと「今日はこの引き出し」、「今日はこの棚」と絶対にやり切れるだけのスペースのモノを捨てる事からやり直した所、これが案外正解で楽しく事が進む 途中途中、思い出に足止めをされながらでも、着実に事が進んでくると作業が楽しくなって来て、と同時に心が浄化されて軽くなって行くのが実感出来るようになったのです。

 正直、たかが片づけと馬鹿にしていたけれど、なかなか奥が深い精神修行です。
少しずつではあるけれど、心丈夫になって来た気がします。
母の部屋や母の聖域であった台所に手を付けられるようになったら、きっとそこが本当の意味での節目であり人生の再スタートのタイミングなのかなと思います。
 そうそう、こぼれ話。私の友人がやはり断捨離を実行していて、先般、どこを探しても見つからない重要書類があったそう。
どうやら勢い付いて、マイナンバーの通知をシュレッダーにかけてしまい、再発行にかなりの労力と恥をかいたと。
やり過ぎには注意です(笑)

(しげみや・ゆ)

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どんな趣味をお持ちですか? (2015/12/29)

趣味とは言えませんが、私は気の知れた仲間とお酒を飲む機会が多く、定期的に何かの理由を付けては、飲み会を企画してくれる友人が数人います。
飲み会を企画して人を誘うのは、あまり得意ではない私は、誘われたら極力参加するようにしていますが、今になっては、嬉しいことにいろんな人からお誘いの連絡が増え、この時期ですと毎週のように、なんらかの忘年会に参加しています。

     

もう何度も定期的に集まる友人ばかりですので、話す内容は決まっていて家族のこと、仕事のこと、健康のこと、親のこと、子供のこと、ここには書けない若かりし頃の悪態、等をひと通り話した後は決まって、私が太った話となります、、、
まぁこの話題提供があるから私が誘われるのだと思っていますが、、、
あと数年したら孫の自慢話に花が咲くのでしょう(笑)

 もう子供も大きくなり手が掛からなくなったので、若い頃にはできなかった事を始めた友人が多くいます。
・結婚して子供ができたので乗っていなかったバイクをまた乗り始めた。
・若い頃乗りたかったロータリーエンジンの車をセカンドカーとして購入した。
・野球好きだった友人は今でも毎週のように草野球をしている。
・優等生だった友人が一流企業の部長になった。
・別の友人は脱サラして昔から夢だった小さな居酒屋を始めた。
なんて話を聞くと仕事もプライベートも充実している40代は、第二の青春なのかもしれないと思います。

 ただバカ話をしながらお酒を飲んで楽しんでいるだけでは、、、
何か始めないと、、、と飲み会に参加するたびに思い知らされます。

来年こそ何か趣味と言えることを見つけて、少しだけ心身ともに豊かにできたらと思います。

(ふるた)

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