新年明けましておめでとうございます (2017/01/12)

     

 今年のお正月はとても暖かで穏やかなお正月でしたね。
皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。我が家は高台にある住宅地で日の出が見える絶景スポットがあり、ご光来を拝みました。
徐々に明るんでくる日の光に、厳かな気持ちになり、今年一年の決意表明を心の中で唱えました。
天照大神に唱えちゃったのですから、遣り通さない訳にはいきません。
自分に負けないで頑張りたいと思います。
何の決意かは内緒です。無言実行と行きたいと思います。(←ズルイ)

 お正月からフル回転で断捨離をしよう!と意気込み、本棚の整理から始めました。結局悪い癖で整理するどころか散らかすだけ散らかして、懐かしい本を読みふけってしまい元の状態より酷くする始末。
先が思いやられます。
その中の一冊で、NHKの「プロフェッショナル」と言う番組の対談を起こした本に改めてハッとさせられました。

それは、佐藤陽一さんと言うソムリエの方の回です。
放送はかなり前となりますが、仕事に対する姿勢に感動し、本を買ったと記憶しています。以降、友人とその方のお店に幾度となくお伺いし、最高の心地よいサービスでワインを堪能しています。

番組の最後に、パーソナリティーが問う「プロフェッショナルとは」の言葉に、「自分はプロなんだと言う自覚をしっかり持ち、だから苦労とか努力とかは当たり前なんだと思って、自分の限界を試す人ですね。
『ここでいいや』と思わずに自分を伸ばしていける人が、プロフェッショナルなんじゃないかと思います。」
と閉めています。

世界に認められる一流の方の言葉、重みがあります。
数年前に、目から鱗~!と思ったはずなのに、悲しいかな、水は低い所に流れるので何時の間にか葬っておりました。
改めて心の教訓にし、精進したいと思いました。

http://www.nhk.or.jp/professional/2007/0619/
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀「第55回佐藤陽一」

 安心いちばんが始まって、干支が一回りします。月日の速さに驚くばかりです。
びっくりついでに、私事で言えば、生誕半世紀の記念すべき(?)年です。
全くびっくりぽんです。
亀の甲より年の功、後進が頼れる存在になれるよう、地に足付けてもっとしっかりしなければとつくづく思ったお正月でした。

(しげみや・ゆ)

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母の引っ越しで改めて思う事 (2016/11/22)

 先日、ひと月早い母の一周忌法要と納骨式で父の待つ山梨へ行ってきた。
父は母の闘病の兼ね合いで、結局二年ほど家でゆっくりし三回忌のタイミングでの納骨となったので、「私は一年で連れてこられた、お父さんズルイ!」と文句を言っているに違いない。
引っ越し先は小淵沢や白州が近く、南アルプスを一望できるなかなか景色の良い場所だ。
これからドライブや小旅行気分の列車の旅(車だと飲めないからですね、はい)で足しげく通うであろう土地を楽しもうと、早速山梨のガイドブックまで買ってみた。

    

思いの外近隣に素敵な場所が多く、楽しめそうだ。
母を引っ越しさせた事で、本当の意味での一区切りがついたような気がしている。
この五年間は両親の闘病に伴走し、見送り、怒涛の期間であった。
去年の今頃は・・・とか、あの時こうしていれば・・・とか、走馬灯のように思い起こされるが、ところどころ記憶が飛んでいるところもある。

 がん保険の研修で、「家族は第二の患者」と言う言葉が胸を突いた。
実体験をしているだけに、涙が出そうになった。
振り返ると、人間、火事場の馬鹿力でどうにかこうにか遣り通すものの、患者に代わって治療の選択、決断をしなければならない重圧、その時を迎える事への不安、悲しみ、色々な感情で押し潰されそうに何度もなった。

それでも泣き崩れてはいられないので、外に出ると気丈にしていなければならない事も疲労に拍車をかけた。
「良くやっているね」のエールの言葉が、時には励みや救いになり、時にはプレッシャーになった。
疲労困憊がピークに達した時には、うつ状態だったのだろう。
心が壊れてしまいそうな恐怖が少し分かったような気がした。

ある病院では、家族の心をサポートしている窓口を設けているところもあった。周囲の優しさに加え、公共機関にも吐露する場があるのだな、と思うだけで勇気が出た。

 あの時、これに加えて金銭面での心配が加わったらどうだったろう。

    

きっと、私も患者になっていたに違いない。
がん保険の給付により、その点の心配が無かったのはせめてもの救いだ。
悲しいかな、中には治療を断念されて行く方も実際にいらして胸が痛くなった。
古いタイプの保険であった。
それでも、有り難い金額を頂戴した。
保険を放置せずに見直していたら、もっと役に立っていたと言う事実がある。
それまでは、机上の勉強をお客様にお話しして来たが、この経験をお客様に知って頂く使命が私にはある。
一人でも多くの方とそのご家族が救われるように、「がん保険」普及活動をしなければと改めて両親に誓った秋晴れの日であった。

 ・・・久しぶりに大真面目。私?、はと言うと、お陰様で第二の患者にならずに済み、あの頃図らずとも落ちて行った体重は、美味しいワインと共に着実に元に戻っている(笑)

(しげみや・ゆ)

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念願がかなったこの夏 (2016/10/06)

もう30年以上前からの念願が、今年の夏に2つも叶える事ができました。
1つ目は、日本三景の内、まだ訪れたことがなかった、京都府の天橋立を訪れることでした。
宮城県の松島へは東日本大震災後最初の夏にて訪れました。
広島県の宮島には、一昨年のGWに訪れました。
広島へは中学の修学旅行で行った事があったのですが、宮島へは初めてでした。
かなり混雑することを予測していたので、朝一番のフェリーに乗り宮島へ渡りました。
まだ人気の少ない厳島神社をゆっくり回りながらお参りしたことを覚えています。

そしてこの夏に、念願の京都の天橋立に行ってきました。
天気にも恵まれ、とても綺麗な天橋立を見る事ができました。
自分の股から逆さに天橋立を眺めると昇り竜に見えるそうです。
訪れた際は、是非、昇り竜を確かめて見てください(^・^)

   天橋立

 念願の2つ目は、母校の野球部が夏の甲子園に出場して応援しに行くことでした。私は、高校野球の大ファンです。
地区予選を勝ち抜くには、毎日の練習量も並大抵ではないことは、野球部経験のない私にも痛いほどよくわかります。
地区予選は毎年ベスト8や4までは勝ち進むのですが、甲子園へ行くことがなかなかできませんでした。
今年初めて甲子園の切符を掴むことができ自分のことの様に嬉しく感じました。

 母校の試合日が、今年から祝日となった8月11日の第1試合の10時開始です。
私は、いてもたってもいられず、夜中車を飛ばし甲子園に向かいました。甲子園の応援アルプス席は、野球部員や野球部のご家族、OBの人達、私のような一般参加で埋め尽くされました。
   甲子園

 試合結果は1回戦敗退でしたが、吹奏楽部の校歌や応援アルプス席からは「連れてきてくれてありがとう」のエールが飛び交い、涙がこみ上げるほど本当に感動しました。
こんな機会を与えてくれた野球部にとても感謝するとともに、とても良い経験ができたと思っています。

 また、もう一度、とてつもなく熱い夏の甲子園へ行ってみたいと願ってやみません。

(ふるた)

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タイムスリップの出来る街 (2016/08/05)

 20年余り住んだ、品川は東品川の小さな部屋を処分した。
もっとも、きちんと住んでいたのは最初の10年で、その後の5年は月に数回寝泊りし、ここ5年近くは全くの空き家で友人がたまに足場として使う位だった。

色々な思いがあったが、ここでエイヤッと処分に踏み切った。
三十路をほぼこの街で過ごし、親の目から解放され、夜な夜なふらふらと遊んでばかりいた。
陸も空も交通機関が便利な場所だったので、思う存分あちこち旅行にも行った。

     

良くぞあれだけパワフルに動き回れたものだと今となっては驚くばかりだ。若さって素晴らしいな、と。
我が青春(←には薹が立ってましたが)の街と言ったところだ。

 最後に懐かしい道を歩いておこうと散歩に出た。
この品川、近代都市の裏側に秘められた歴史のある街である。
東海道の第一の宿場町で、ここかしこに江戸の面影を残している。
品川は「品の行き交う川」から来たとも言われ、物流により財を成した豪商もいたのだろう。
宿場跡の公園の石碑に当時の繁栄を見たり、品川浦の船溜まりに海の街であった事を感じたり、八つ山の坂を上がり(かの有名なゴジラが上陸して壊した橋です!)御殿山の桜の名所に将軍が鷹狩をした鷹場を見たり、江戸の頃から変わらない道幅で続く当時から名前の変わらない坂道に感動したり。

東京の坂は江戸時代からの名前、由緒がはっきりしていて実に感嘆できる。「わずか180年ほど前までは、この道を武士や町人達が行き交っていたのだろうな」と思うと非常に興味深いものがある。
古地図を片手にそぞろ歩くと小さな発見があり、かなり楽しい散歩が出来る。今は埋め立てられている湾に、鯨が迷い込んで来て、時の将軍家斉も見物し、そりゃあ大騒ぎとなった事が刻まれている鯨塚があったり、今なお現役の井戸があったり、幕末になるとペリーの黒船に対抗するために品川台場が築かれた旧跡があったり、江戸湾の面影を感じたり。

このあたりは由緒ある神社仏閣も多い街で、歴史好きには堪らない。
品川のお隣にはなるが、その最高峰が泉岳寺。
あの忠臣蔵の志士が眠っている事で有名な寺だ。

     
           「泉岳寺(本堂) Photo By Akira.O]

「あぁ、何て楽しい街に住んでいたのだろう」と離れる時になって改めて思ったりした。

 年を取るにつれ、日本を知りたいと思うようになった。
海外旅行も良いけど、日本をもっと知りたいと。
普段は通過点に過ぎない街も、少し角度を変えて眺めてみるといつもとは違った街の表情が見えてくる。

バーチャルの世界のポケモンGOにばかり夢中になって猫背で歩いてばかりいないで、シャンと背を伸ばし景色を見渡してそぞろ歩く楽しさを、ぜひ子供たちに知ってもらいたいものだ・・・
大人もか(笑)

(しげみや・ゆ)

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ドライブレコーダーのすすめ (2016/06/27)

 先日、自動車免許の更新に行ってきました。
人生初めてゴールド免許を取得することができました。
5年間違反がない運転手はゴールド免許となるのですが、仕事で車を運転する機会も多く、家族旅行もほとんどが車で行きますので、この5年間で10万キロ以上もの距離を運転しました。
にもかかわらず、ゴールド免許になれたことにとても喜びを感じております。

     

 車を運転していると主要道路に防犯用のカメラをよく見かけます。道路ばかりではなくスーパーやコンビニ、駅の改札、商店街のアーケードにもよく目にします。
防犯カメラやドライブレコーダーの映像がカギとなり事件が解決された報道も多くなりました。

 数年前、私も自動車にドライブレコーダーを設置しました。
カーショップなどで工賃も含め1万円前後だったと思います。
設置したドライブレコーダーは運転中に前方を撮影し録画するだけの機能ですが、最近では盗難防止のため駐車中にも撮影機能があったり、走行中に車線からはみ出たりすると警告音が鴫る機能が付いたドライブレコーダーも販売しているようです。

     

 ドライブレコーダーを取り付けたきっかけは、どんなに安全に配慮した運転をしていても、避けられない事故はあると思い、万が一の時の自己防衛のためでした。
しかしながらドライブレコーダーを設置してみると、自分自身の運転も変わったように思います。
すべての走行の映像と音が残されている訳ですから、前方はもちろん、左右を確認し、後方も注意しながら運転するようになりました。時たま強引に割り込みしてくるドライバーにも気持ちよく譲ったりして、運転マナーまで良くなった気がします。
自意識過剰ですかね(笑)

 今思うと、ドライブレコーダーを設置した事により、自分自身の運転が変わったので、ゴールド免許が取得できたのではないかと思っています。

(ふるた)

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