上野の森の博物館 (12/03/02)

 久しぶりに上野の博物館に行ってきました。
特に見たい展示があったのではなかったですが、上野駅近くに行く用があったので、それではと足を延ばしてみることにしました。

 2月下旬はどこも企画展はなかったので国立博物館の常設をゆっくり見ることにしました。
国立だけあって、ここは仏像や陶磁器、古代の土偶や鏡などがふんだんに展示されています。
どこかで見たことがある(たぶん教科書に写真で載っていた)銅鐸や鏡の実物が、手を伸ばせば届くとこに置かれているのが不思議な感じでした。

見てみたかった壺がありました。
かつて住んでいた所の近くで発見され国宝になっている壺です。
「ここで発見された壺が国宝になりました」みたいな掲示板が農家風の家の垣にあって、その場所と「国宝」が似つかわしくなく、どんな壺だろうと興味がありました。

その壺は意外に大きく堂々としていて立派でした。
骨壷として埋められたと説明があり、素朴ながらも表面にすすきやとんぼが勢いよく描かれている壺でした。
往時のこの辺りの風景はこんなだったのだろうか、どんな暮らしだったのだろうかなどと考えながら見ていると感傷的な気分になってしまう壺でした。

数日後、掲示板があった所に行ってみました。
そうしたら、たぶんここだろうと思われる家も周辺の家々も揃ってハウスメーカーで建てたと思われる新しいモダンな建物に建て替えられていて、かつての垣も掲示板もなくなっていました。
仕方ないこととはいえ、なんかがっかりしました。
今月は国立科学博物館でインカ帝国展も始まるので、また上野に壺を見に行こうと思います。

(かねこ)

ページのトップへ戻る

巨大地震への心構え (12/02/03)

 ここのところ雑誌やテレビ等で、東日本大震災規模の巨大地震がいつ来てもおかしくないと報じている。
東日本大震災を境に全国で地殻変動が起こっていると言う。
いや、それよりも前の阪神淡路大震災から既に始まっていると言う専門家も。
しかし、地震がいつどこで発生するか確かなことは分からない。
大切な家族の命や、財産の被害を最小限に止めるには日頃どのような心構えが必要であるのか、改めて意識すべきである。

 1855年の安政江戸地震以来、首都圏では直下型の大地震が起きておらず、可能性としては大変高いそうだ。
4年以内に70パーセントの確立で発生すると、何とも身震いのする数値を研究チームが叩き出している。
また、東海地震が発生すれば、かなりの高率で富士山が噴火するとも。
色々な研究発表があるものの、何しろ相手は自然なので「何時」と時期を確定することは出来ない。
いつか来るその時の為に、日頃から出来る準備を本気でして置かなければならないようだ。

ここに東京消防庁の防災トピックスから、「地震に対する10の備え」を挙げてみる。
至極シンプルな中身だが、今一度押さえておきたい心構えだ。

1.家具類の転倒・落下防止をしておこう・・家具の固定や非難経路を考えた家具の配置
2.けがの防止策をしておこう・・ガラスの飛散防止、スニーカー等の準備
3.家屋や塀の強度を確認しておこう・・必要な補強を施す
4.消火の備えをしておこう・・消火器の準備や風呂の水の汲み置き
5.火災発生の早期発見と防止策をしておこう・・感震ブレーカー等の設置
6.非常用品を備えておこう・・ラジオ、懐中電灯、食料は3日分、飲み水の準備
7.家族で話し合っておこう・・役割分担、安否確認方法、集合場所等の決定
8.地域の危険性を把握しておこう・・防災マップの設置
9.防災知識を身につけておこう・・情報収集
10.防災行動力を高めておこう・・日頃から各種訓練に参加

    

 間もなく東日本大震災から一年が経とうとしている。
先日、テレビの特集で被災された方々に「今、何を望むか」とインタビューしている場面があった。
その中に、「忘れないで欲しい」と言う答えがあり、心に響いた。
忘れるはずもない未曾有の大災害であったが、この教訓を明日はわが身と感じて備えている人は意外に少ないと思う。
恥ずかしながら私もその1人だ。
今日から改めて有事への備えを準備すると共に、いつか来るその時の為に、財産の被害に備える「地震保険」の今まで以上の浸透に向け、我々保険代理店の使命として誠心誠意お伝えするよう努めたいと思う。

(しげみや・ゆ)

ページのトップへ戻る

元日の新聞、拾い読み (12/01/05)

元日付の新聞をいくつか読みました。
日経で目についたのは「C世代」という言葉。
「コンピュータ(Computer)を傍らに育ち、ネットで知人とつながり(Connected)、コミュニティー(Community)を重視する。
変化(Change)をいとわず、自分流を編み出す(Create)」
世代とくくってあって、次代の軸になると紹介されていました。
この記事はさらに、言語の垣根も自動翻訳の普及が進み、「地平は広がり、地球はもっと小さくなる」と20年後を見通し、「世界はシンクロニシティー(共時性)を強め」ると予測を述べていました。

産経のオピニオンのページに曽野綾子さんの文章があり、その歯切れの良さにドキッとさせられました。
絆について書かれているのですが、3.11以降、多くの人が絆を大切に思うようになったということについて、
「しかしそれは今まで絆をあまり意識していなかった人間の心の希薄を浮き出させた」と現代社会で生きる人たちの孤独を指摘、さらに「そもそも絆の基本は、親と同居することだ」と重たい一言。
そして「最近の絆への思いは『ご都合主義』の匂いがしないでもない」と続けています。
この先も鋭い考察が重ねられる囲み記事で、「薄っぺらな人生だけしか見て来なかった人たちの意識を、悲惨な地震と津波が濃密な現世に引き戻した、としたら、それは我々の人間性復活のための大きな贈り物と考えたい」で締めくくられています。
真剣に読んでしまいました。

読売の社説には、悪夢のシナリオがありました。
「日本の国債がいったん売られると、金利が上昇して利払い費が膨らみ、債務が拡大する。
消費が冷え込み、設備投資の減少など景気低迷と税収減の悪循環に陥れば、財政破綻が現実になりかねない」。
東京新聞には、日本国債が安定している理由について「最大の要因は、国内の銀行や生損保各社が大量に購入している」からだと載っていました。
さて、消費を冷えさせずに債務を減少させる方法はあるのか、これはどこの新聞にも載っていませんでした。

いまさらながら毎日の「希望新聞」はとてもいいページだと思いました。
被災地の情報が満載で、医療やイベントの紹介、移転した役場や生活支援をしている弁護士会などの連絡先がわかる電話帳、被災者からの声とともに、「手袋が足りません」(12月27日付)などのニーズ情報が掲載されています。
元日の紙面には、この希望新聞を通して何度か物資を送った方から、「困っていることがあれば声を掛けて下さい。
私たちは同じ国に住む仲間。『絆』で結ばれています」とのメッセージがありました。
都合主義の匂いがしない「絆」がありました。

    

(かねこ)

ページのトップへ戻る

師走に思うこと (11/12/05)

 今年も残り一ヶ月を切り、毎年思うことですが、振返ってみると一年の速さに驚かされます。
今年は特に東日本大震災以降、「がんばろう、日本!」を合言葉に、それぞれが色々な思いを抱えながら過ごして来て、時間の経過の質が例年とは違っていたように思います。

被災地で今尚ご苦労されている方々は、復興に向かって長く険しい道のりを着実に歩み進めた時間でしたでしょうし、被災地以外に住む私たちにとっても、この国難を乗り切るのに何が出来るのかを考え行動し、一日でも早い復興を願わずにはいられない貴重な時間を過ごしてきました。
不謹慎かもしれませんが私は震災以降、苦難に直面する度に「震災で大切な命を奪われた方々を思うと、くじける訳にはいかない」と自分を鼓舞して過ごして来ました。
そして力をいただいて来ました。

年の瀬にあたり、改めて普通に過ごせる日常に感謝しながら生きなければならないと心から思います。
当たり前の暮らしが一瞬にして当たり前ではなくなってしまわれた方々が沢山いらっしゃるのですから。
日々を疎かにしたら申し訳ありません。

 復興支援として何が出来るか、何をすればお役に立てるのか分からぬまま、でも何かせずにはいられないと悶々とした結果、「復興支援」にあたる買い物や、物資の提供、本当に恥ずかしい位の小額ですが義援金を送らせていただいたりしています。
千里の道も一歩から。
小さな力が大きな力になると信じてこれからも出来る事を地道にやり続けていこうと思っています。

友人の中には幾度もボランティア活動に参加し、被災地の方々のご苦労を目の当たりにして来た者もいます。
話を聞く度にまだまだ一人ひとりが復興支援について考えるべきだと切に思います。
「継続は力也」、何事にも当てはまる大切な格言です。

以前、イチロー選手がこんな事を言っていました。
「今自分にできること、頑張ればできそうなこと、そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない」と。
なるほど結果を残す偉人は名言を残すものだと感心すると共に、来る年の目標にしたいと思います。

 本年も、皆々様にはご愛顧賜りありがとうございました。
安心いちばんも7年目を迎え、社員一同力を合わせ、安心・安全をお届けする為にますます努力をして行く所存でございます。
来る年も、皆様にとって実り多き年となりますよう祈念いたしております。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

    

(しげみや・ゆ)

ページのトップへ戻る

マヤの予言 (11/11/04)

先日、立川のライブスポットで行われたMAYAというフォルクローレグループのライブに行ってきました。
フォルクローレという言葉は知っていても、どんな音楽なのかよく知らない人が多いと思いますが、南米のボリビアやペルーを中心に演奏されていて、インカの文化がまだ残る地域で奏でられるあの音楽、「コンドルは飛んでいく」や「花まつり」がフォルクローレの曲といえばよくイメージできるかなと思います。
八王子の駅前でも笛や太鼓で演奏している南米人のグループがいますね。

    

MAYAは日本人のグループで、実力のある有名な(フォルクローレ人口は少ないですが)グループです。
30人入るかなといった小さなライブスポットでのコンサートで一番前の席がとれました。
演奏している姿の細かなところが見られたし、演奏は素晴らしかったし、とても幸せな気分に浸れたコンサートでした。

話は大きく変わりますが、マヤが年末から来年にかけて大きく取りざたされます。
こちらは音楽ではなく、マヤ文明のこと。
太陽信仰のこの文明は、天文学を発展させて、マヤ暦という現代にも通じる正確な暦をつくっていました。
この暦には、なんと終わりがあって、それが2012年12月21日だというものです。

これを題材にした映画もいくつかあります。
惑星が直列し、この影響で大規模な太陽フレアが発生、太陽からニュートリノが爆発的に地球に到来する、そして地球の中心の温度が急上昇し大規模な地殻変動が起きる。
とか、銀河系の中心にあるブラックホールと太陽系の惑星配列の関係で地球の回転速度が落ち、こちらも大規模な地殻変動へつながる、なんて設定になっています。

    

地殻変動は映画に任せるとして、暦の予言は、これをギリシャ国債のデフォルトから始まる壊滅的な信用収縮で、投機や金貸し経済が破綻する日が来年12月21日なのではなどと考えるのはいかがかな。
マヤ文明は、焼き畑の農耕文明のようで、今日的言い方では実物経済(時代的に当然ですが)です。

金融経済が崩壊する日が近づいているなんて滅相もないことですが、国民投票まで持ち出されたギリシャの判断がどうなるか、世界中の、高利貸しの老婆アリョーナ(罪と罰に登場)達が苛立っているのは間違いない昨今です。

(かねこ)

ページのトップへ戻る